小話:下書き3

誰が使うわけでもないからだろう、掃除している様子はない。

そこら中に鳥の糞がこびりついているし、風で運ばれたのか、砂が積もってジャリジャリしている。コンビニ袋やら何やらの人工物なごみは、これも風によるものだろうか。業者や、今の僕たちのように忍び込んだ生徒が放置していったのかもしれない。

扉を開け放った彼女は、それでも嬉しそうに小走りで―というにはやや過剰なスピードで端まで駆け寄っていく。

僕もまあ、楽しくないといえば嘘になる。朝6時の眠気と朝日と肌寒さ。忍び込んだ学校の屋上に、テンションも上がろうというものだ。

 

給水タンクを点検する業者が、鍵をかけ忘れていったらしい。なぜそんなことが分かったのか聞いたところ、常に屋上に行くチャンスを狙って、何かの間違いで鍵が開いていないか、定期的にチェックしていたのだという。

いつも通り楽しそうに、しかし周囲を憚って小声でそれを報告した彼女は、僕に次のような「屋上潜入計画」を提案してきた。

その1。本日放課後、学校に居残り、誰もいなくなるのを待つ。

その2。夜明けとともに屋上に潜入する。

なぜ今日なのか。明日だと鍵閉められてるかも。

セキュリティとかあるだろう。ああいうのって外からの侵入者対策じゃないですか? 始めから中にいれば大丈夫ですよ。

ひとりで行け。夜の学校に一人とか怖いじゃないですか。

…分かってくれるとは思うのだけれど、一般的な高校生男子が、ちょっとした非日常的体験の予感に釣られたとしても無理はない。憎からず思っている後輩からのお誘いなら、なおさらだ。

 

周囲を一通り見て回った彼女は今、一番眺めの良い北側の縁に立っている。僕は入口そばで、椅子に逆向きに座って彼女を見ている。ちなみに椅子は、屋上手前に、おそらく廃棄のため纏められていたのだろう幾つかから拝借したものだ。

もっと彼女の近くにいるべきだと思うのだが、恥ずかしながら高い所が多少怖い。下を見下ろせる場所にはあまり近づきたくなかった。

所詮は5階建ての校舎なので高さは知れているけれど、山の中腹に建っているおかげで、意外に遠くまで見渡せた。校門から通学路に沿って見ていくと、斜面に密集した住宅街、山を下りたところで交差する国道、その周辺の本屋やファストフード店、国道と並行に走る線路。その先の川……までは見えないか。人の気配もなく、やや朝靄がかった風景は、確かにちょっと悪くない。

椅子の背もたれ部分に片肘を立て、手に顎を載せて彼女を見る。背中を向けた彼女の表情は、当然ながら分からない。

何のために彼女は、屋上まで来たがったのだろう。単なる興味本位、なのだとは思うのだが。

彼女が好きだった相手に、直接の面識はない。幼馴染で、サッカー部で、結構な人気者らしい、という位だ。うちの高校のサッカー部は、あまりタチの良くないヤンチャをする奴らが多いのだけれど、その一人であるクラスメイトに聞いたところ、彼は染まらず真面目にサッカーに勤しんでいるらしい。聞く限りは結構な好青年だ。

彼女が好きになるのも不思議ではないし、彼に恋人ができるのも、それを一番仲の良い幼馴染に報告するのも不思議ではない。理不尽な展開はどこにもない。なんて論理的な世界なんだ。素晴らしい。

だから、たかが恋を無くしただけで、そんな不安定になることもないだろう。僕はそう思うのだけれども。

今、彼女は屋上の縁で、動かないし、喋りもしない。失礼な感想だとは思うが、馬鹿が静かだと不安になる。最近の彼女は、時々そんな感じだった。

可能性としては低い。そもそも学校の屋上より簡単に入れて、より高い建物はいくらでもある。そのためだけにここに来る理由も、ましてや僕を巻き込む理由もない。

もし彼女がそのつもりだとして、今それを実行されたら、残された僕はどういう立場に置かれるだろうか。警察やら彼女の家族やらに説明を求められる場面を想像して、僕は顔をしかめる。非常に面倒くさい。

彼女の表情は分からない。遮るもののない風に、肩の上で切り揃えられた髪を押さえる彼女の頭は、少なくとも下を向いてはいない。短めのスカートも押さえた方がいいと思う。見えはしないが。残念ながら。いや残念でもないが。

多分、僕も頭が回っていないんだろう。こらえる必要もないアクビの衝動に素直に従った後、椅子から立ち上がって歩き出す。

気配を感じたらしい彼女が振り向いて、その表情はいつも通り、なのだろうか。常に何かからかうように光る瞳や、何が楽しいのかいつも笑っているように見える口元に、何か影が落ちていないだろうか。

寝不足と下らない心配に邪魔された僕の思考は、

 

高い所から飛んで、それで自由になれるわけではない。鳥になれるはずなんてない。いくら馬鹿でも分かっているだろう。