国語:下書き1

主に学校科目としての国語について。

 

「作者の気持ちなんてわかんねえよ」というのが、国語が苦手な人の常套句であるように思う。が、この時点で間違っている。

まず、認識しておくべきは以下の二点。

「作者の気持ちなんて聞いてない」

「君の感想も聞いてない」

国語で問われているのは、「この文章には何が書かれていますか」ということのみで、答えは全て本文に書いてある。従って必要なのは、文法規則や文章構成通りに読むこと、端的に言うと誤読しないこと、それだけだ。

 

あらゆる文章には解釈の余地がある。同じ文章でも、読む人によって解釈は変わる。

それはそのとおりだけれど、学校科目としての国語で求められているのは、「テクストは書かれた瞬間に書き手から独立し、読み手に開かれている」とかそういうレベルの話ではない。

そもそも、あらゆる文章には解釈の余地がある、と言っても、その「解釈」の幅は無制限ではない。

例えば、「僕は今日はカレーが食べたい」という文章だけがあったとして、これを読んで「筆者は20年前に別れた元カノへの未練が捨てきれないのだ」と解釈して良いだろうか。

これで「良い」と答えられてしまっては話が進まないので、「良くない」という前提で話を進める。

「僕はカレーが食べたい」という文章だけが単独である場合、文法通りに可能な解釈は、文中の「僕」なる人物が「カレーが食べたい」と考えている、ということのみだ。

で、国語の問題が聞いているのは、<「僕はカレーが食べたい」という文章には何と書かれていますか>ということであり、その答えは<「僕」が、「カレーが食べたい」ということ>である。繰り返すが、それだけだ。

 

文脈を読む、という行為は必要である。が、これも別に、書いてもないことを想像しろ、ということではない。

例えば以下の本文と問があったとしよう。

 

本文:

タカシにとって、カレーと言えばチキンカレーのことだった。彼の家ではカレーの肉は常にチキンだったし、家以外でカレーを食べたこともなかったからだ。

「僕はカレーが食べたい」

彼の母が彼に晩御飯の希望を聞いたとき、タカシはそう返答した。

 

問:

タカシ君が食べたいといったカレーは何カレーですか

 

「カレーが食べたい」という文章だけであれば、その「カレー」が何かは不定。しかし上記の文章では、たかしにとってカレー=チキンカレーということになっているので、問に対する答えは「チキンカレー」でなくてはいけない。

次の例。

 

本文:

タカシにとって、カレーと言えばチキンカレーのことだった。彼の家ではカレーの肉は常にチキンだったし、家以外でカレーを食べたこともなかったからだ。

「僕はカレーが食べたい」

彼の母が彼に晩御飯の希望を聞いたとき、タカシはそう返答した。だから彼の母は、いつものように、チキンカレーの準備を始めた。

しかし、タカシにとってカレーがチキンカレーだったのは18歳まで、高校を卒業した彼が家を飛び出るまでのことだ。20数年ぶりの実家、母の姿。すべてを捨てたつもりだったタカシは、「母の手料理」の記憶も、半ば意図的に忘れ去っていた。今の彼にとっての「カレー」は、家を出てから数年間、同棲していた彼女が作ってくれていたビーフカレーだ。今や彼は、「カレーの肉と言えば?」と問われれば、「え?牛肉以外の選択肢なんてあるの?」と―本心から―答えるようになっていた。

 

問:

1.タカシ君が食べたいといったカレーは何カレーですか

2.晩御飯で出てくるカレーは何カレーですか

 

(時間が来たので今日はここまで)